■家族からのメッセージ
みなさまへ
羽菜のことについて、また学校プール事故について関心をもっていただき、ありがとうございます。
このサイトを訪れてくださったみなさまに、私たちが事故の調査を続けている理由についてお伝えできればと思います。
私たち両親にはわかっています。
あの子がいないということを埋めるものはなにもない、なにがわかってもあの子は戻ってこない。それは恐ろしい、希望のない現実です。
それでも事故の原因究明を求めて、裁判を行い、第三者委員会の調査を依頼し、現在は自主検証を続けています。
それはどうしてなのか。
一つには、羽菜しか知らないこと、なぜこんなことが起きたのかという、羽菜の最後の声を、せめてしっかりと聴いてやりたいからです。
「誰も見ていない間に一人で溺れてしまった」、「原因もわからないまま亡くなった」、かわいそうな子としてあの子の人生を終わらせるわけにはいきません。
事故が起こった場所は、他ならぬ学校なのですから。
裁判での認定でも、第三者委員会の報告でも、その日のプール運営には(おそらくその日だけのことではないでしょうが)安全確保に対する油断や懈怠、不注意があったことが指摘されています。救護に際しての役割分担や処置の不手際についても、調査報告では厳しい指摘がありました。
しかし、私たちはまだ羽菜の声を聴くことができていません。
既存の資料を基礎とする推認を行うしかない民事裁判では致し方ないとしても、一年をかけて再現検証や聴き取り調査を行った第三者委員会の調査でも、事故発生の原因については、論理的整合性のない推論が示されるに留まったと私たちは感じています。
もっと詳細に、数的なデータを基盤とした調査をし、その場にいた人たちの聴き取りを網羅的に行って、なぜ羽菜が死ななければならなかったのか、どんなことの重なりが、致命的な事態を作り出したのかについて、一つ一つをやはりちゃんと検証したい。
それが私たちの自主検証の目的です。
もう一つは、事故の引き起こす事態がどんなものであるのかを知ってもらいたいという気持ちがあるからです。
ニュースなどで流れるのは、事故で子どもが一人死んでしまったという外側の事実に過ぎませんが、私たちは「子ども」ではなく、たった一人の「羽菜」を亡くしました。
いつも一緒にいて、すべすべのほっぺたを撫でたり、ぎゅーっとしがみついてくる重みを感じたり、小さな丸い手をそっとつないだり…そんなふうに暮らしていた家族の生活はまったく変わってしまい、私たちの大事な一人娘はもうどこにもいません。
そして、ころころと笑い、生き生きと歌っていた羽菜自身の人生もたった6年と5ヶ月で断ち切られてしまいました。
この生々しい痛み、自分なりの人生を一生懸命に生きていた子どもがいきなり時間を奪われてしまうという酷さ…
事故の引き起こす重大な事態のありようを、なんとかわかっていただくことができればと思います。それが人災たる事故を防ぐ意識に繋がるのではないかと考えるからです。
一番子どもが守られるべき場所であるはずの学校。
その場所がなぜ家族の日常を奪う、悲惨で重大な事態を引き起こしてしまうのかを、この事故を通じて、私たちと一緒に考えていただくことができればと願っています。
浅田羽菜 両親